【クライミングの歴史1】“スポーツクライミング”という名前の謎

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スポーツクライミングには、なぜわざわざ「スポーツ」という言葉がつけらているのか? その背景には、クライミングの長い歴史があります。そもそも登山の一部だったクライミングから、フリークライミングが生まれてくるまでをざっくり見ていきます。

「スポーツ」クライミングという名前のフシギ

2020年東京オリンピックの競技として、スポーツクライミングが採用されました。しかしよく考えてみると、この「スポーツクライミング」というのは不思議な名前だと思いませんか?

オリンピック競技ですからスポーツであるのは当たり前なのに、なぜわざわざ「スポーツ」とついているのでしょうか? 「スポーツバレー」とか「スポーツスキー」なんて、言わないのに……。

また、「スポーツクライミング」と言うからには、スポーツじゃないクライミングもあるのでしょうか? 疑問は尽きません。

それらの疑問に答えるためには、長いクライミングの歴史をひも解いて行かなければなりません。

そこには、多くのクライマーたちによる「理想のクライミング」追求のドラマがあるのです。

クライミング(climbing)にもいろいろある

そもそも英語のクライミング=「climbing」は、日本語では「登ること」であり、とても広い内容が含まれる言葉です。

たとえば、エベレストなどの高所登山も、climbingの一種ですし、氷瀑(凍った滝)だけを登るアイスクライミング(ice climbing)もクライミングですね。

変わったところでは、ツリークライミング(tree climbing)と呼ばれる木登りも、ひとつのジャンルとして確立していますし、天井からぶら下げた太りロープを登るロープクライミング(rope climbing)は、アメリカでは人気のあるスポーツなんですよ!

どうも、欧米人は基本的に登ることが好きみたいですね(笑)。

そういったさまざまなクライミング中でも、もっとも有名なのが、岩壁を登る「ロッククライミング」(rock climbing)です。普通の人が「クライミング」と聞くと、まずロッククライミングが思い起こされるのではないでしょうか。

そして、スポーツクライミングは、元をただせばロッククライミングから生まれたものです。そこでロッククライミングからどうやってスポーツクライミングが生まれたか、歴史に沿って振り返ってみましょう。

ロッククライミングの歴史

ロッククライミングはもともとは、高所を登る登山の一つの手段でした。ヨーロッパの高山は一年中「岩と雪」の世界で、ロッククライミングも、そういった高所登山の一部、あるいは、そのための練習として、主に行われていました。

エベレストをはじめとした世界の高峰がまだ登られていなかった時代には、山頂を目指すことに大きな価値があったので、多くのクライマー(登山家)は、それを目標としたのです。

しかし、エベレストをはじめ、主だった高峰が登られてしまった1950年代になると、「登山の手段として」ではなく、ロッククライミングそのものを遊びとして純粋に楽しもうとする人たち=ロッククライマーが徐々に出てきます。

ロッククライマーはヨーロッパや全米の各地にいました。そして、アメリカの各地で登っていたクライマーの多くは、シーズンにはヨセミテ国立公園へと集まり、高さ1,000メートルにもおよぶ巨大な岩壁に、いくつものクライミングルートを開拓していきました。

そんなクライマーの中には、世界的なアウトドアブランド「パタゴニア」の創始者・イヴォン・シュイナード氏などもいました。

パタゴニアもそうですが、ザ・ノースフェイス、アークテリクスなど、代表的なアウトドアブランドの創始者は軒並みロッククライマーです。日本だと、モンベルを創業した辰野勇氏も、中学生のときからロッククライミングをしていたクライマーでした。

「フリークライミング」がヨセミテで生まれる

ヨセミテでのクライマーたちの中から、従来のロッククライミングと異なる「フリークライミング」の考え方、スタイルが生まれました。

それは、岩を登ることを純粋に楽しむためには、岩に加工をせず、そして道具を極力使わないスタイルで登ることが正しいという考え方です。

登ることが目的なら「何でもあり」

従来の、登山の一部としてのロッククライミングでは、難しいところでは、手がかりや足がかり(あぶみなど)をセットして登ったり、ロープをつかんで登ったりすることが普通でした。岩を登ることが目的ではなく、山頂に至ることが目的なら、登る方法は「何でもあり」だったわけです。

極端にいえば、はしごをかけたり、階段をつけて登ってもよいわけです。実際、日本の登山道にも、そうやって登りやすく整備された岩場がたくさんあります。

道具に頼るのではなく、自分を高めるのがフリークライミング

しかし、山頂に登るための手段ではなく、純粋の登ることだけを目的としたロッククライミングなら、「何でもあり」で登っても面白くないし、美しくもないでしょう。

ヨセミテのクライマーたちは、自然の岩をありのままの姿で楽しみ、もし登れないときには、道具を使って克服するのではなく、自分の身体能力や技術を高めることによって克服する、という理想をかかげたのです。

そのスタイルや考え方は、従来のロッククライミングと区別するため、「フリークライミング」(Free climbing)と呼ばれました。フリークライミングの「フリー」とは、アルコールフリーなどと同じく、「無い」という意味です。登るために道具を使わないクライミングという意味です。

落ちた時に支えてくれる安全確保のための道具だけは別として、登るために人工的な器具を使わないというのが、フリークライミングの根本的な思想です。

スポーツ的な要素の導入

「何でもあり」だったロッククライミングに、道具を使わないという「ルール」を導入したことによって、フリークライミングはゲーム、あるいはスポーツ的な意味も持つようになってきます。

従来は登山という「冒険」の一部だったクライミングに、ルールに基づいたスポーツの要素を導入したのがフリークライミングだったと言えます。

「クリーンクライミング」と、冒険的本質

クライミングは、滑落した場合に地面まで落ちることを防ぐためにロープを使います。まずクライマーは(ハーネスなどを使い)体にロープを結び、ロープを途中途中の確保支点(プロテクション)にひっかけながら登ります。

ロープの端は、別の人が持っており、万一クライマーが落ちたときにはロープを押さえて、クライマーが確保支点にぶら下がるような形になります。

岩に痕跡を残さないナチュラルプロテクション

ヨセミテで生まれたフリークライミングは、長いルートを登る「マルチピッチ」のクライミングが中心です。その確保支点には、「クラック」や「リス」と呼ばれる岩の割れ目に「ピトン」という金具を、最初に登るクライマー(リードクライマー)が登りながら打ち込んでいました。後から登る人(フォロワー)がそれを引っこ抜いて回収します。

そうして「岩になにも残さない、人工的な加工をしない」というクライミングを実践していました。

しかし、抜くとは言え、ピトンを使えば、岩はだんだん削れて、傷ついていきます。また、中には次に登るときのためにピトンをそのまま残す人も出てきます。

そこで、ピトンの代わりに、「チョック」という小さい粒のようなものを引っかけて登るやり方が登場します。しばらく後にチョックより安全かつ簡単に取り外しが可能な「フレンズ」などの「ナチュラルプロテクション」が発案され、ピトンを打つスタイルは廃れました。

チョックやフレンズなどのナチュラルプロテクションを使ったクライミングは、「クリーンクライミング」と呼ばれ、当時流行していたカウンターカルチャー的な思想とあいまって、非常に影響力を持ちました。今風にいえば、「地球にやさしい岩登り」でしょうか?

グラウンドアップ、ミニマム・ボルトに見るヨセミテの理想

ナチュラルプロテクションは、主に「クラック」と呼ばれる岩の割れ目に引っかけたりして、セットしていきます。そこで、当時のクライミングは、主にクラック沿いに登るクラッククライミングでした。ちなみに、クラックのない面を登るクライミングを「フェイスクライミング」と言います。

ルートの途中で、支点をセットするクラックなどがない岩壁の場合、岩に穴をあけ、支点となるボルトを設置しすることもやむを得ないとされましたが、その場合も登りながら設置し(グラウンド・アップ)、しかもその数は最小限(ミニマム・ボルト)にすべきだという、厳しい倫理的な基準が設けられていました。

上で、フリークライミングは「何でもあり」だったロッククライミングにルールを導入したと書きましたが、ルールブックがあるわけではありませんから、正確には倫理を持ちこんだといういうべきでしょう。

フリークライマーは生身の身体だけで勝負し、なるべく「ズル」をしない、安全の確保でさえ必要最小限にするべきだという厳しい倫理です。

できる限りシンプルに岩と対峙する冒険、それがヨセミテクライマーや、彼らに影響されたフリークライマーの理想のクライミングだったのです。

冒険であるからには、100%安全ということはありえないし、100%安全なクライミングをやっても、それは「はしご」を登っているようなもので、ちっとも称えられることではないし、価値がなく、面白くもないという考えです。

「冒険」から「スポーツ」へ【クライミングの歴史2】

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