日本フリークライミング史に残る名著『OLD BUT GOLD』がついに刊行

10年の時を経て、ようやくの刊行!

「ついに」というより、「ようやく」というべきでしょうか。

故・杉野保氏が『Rock & SNOW』誌で連載していた「OLD BUT GOLD」「Dig it」の各記事が、連載終了後の終了してから10年以上の時を経たいま、単行書『OLD BUT GOLD』してまとめられて出版されました(山と渓谷社、2200円+税)。

杉野保氏は、日本のフリークライミングの黎明期から、長らくトップレベルのクライマーとして活躍すると同時に、フリークライミングスクール「CLIF」を主催して、クライミングの普及に勤めていました。競技ライミングとは異なる、恐怖をも含んだ“冒険”としてのクライミングの本質を追究、啓蒙していたレジェンドであり、その考え方の一端は本書や、いまも残っている「CLIF」のWebサイトに掲載されている記事などからもうかがい知れます。

杉野氏は希有なフリークライマーであったと同時に、文章の達人でした。クライミングに対する深い見識を背景に、格調高くその魅力を伝える杉野氏の文章は、過去『Rock & SNOW』誌に連載していた執筆者の中でも間違いなく三本指には入ります。(一、二回だけの執筆ではなく)長く連載を続けた執筆者としては、文章力はナンバーワンでしょう。
読者である私たち一般クライマーの心を揺さぶり、「いつかこういうルートを登ってみたい」と思わせしめる、杉野節とでもいうべき名調子は、クラミイング随筆と呼んでもよい作品です。その記事がまとめて読めるのが、今回出版された『OLD BUT GOLD』です。

上質なクライミング随筆であると同時に一級の史料でもある本書

『Rock & SNOW』誌で2003年~2006年にわたり連載されていた「OLD BUT GOLD」(全16回)は、優れた内容を持ちながら、現在(連載当時)ではマイナーになってしまい、現在では再登者が少なくなった「隠れた名ルート」に光を当て、再登してその価値を見いだしていくというテーマの企画です。「久しくチョーク跡の途絶えたルートに、再び息を吹き込むのだ」というキャッチコピーの「息を吹き込む」というところが、この連載の本質をよく表しており、つまり単に昔のルートを登るというだけではなく、正当に評価をしてルートの歴史的、現代的な意義を紹介することが眼目なのです。また、同連載終了後、少し後で、同様の趣旨で、地方エリアにまで視野を広げて紹介したのが「Dig it」です。

本書で紹介されている「隠れた名ルート」は、もちろん高難度ルートが中心です(最高はマーズやNINJAの5.14a)。それらを登り(場合によってはオンサイト)、しかも内容、難易度などを評価し、さらに初登者の人物紹介や初登当時のクライミング状況などを含めて解説し、読者をうならせる記事としてまとめるとなると、その任を担える人物は、杉野氏以外にはほとんどいないでしょう。まさに杉野氏がいたからこそ実現した企画です。
「OLD BUT GOLD」で採り上げられたルートと、初登者は以下の通りです。
<ルート名(エリア/初登者)>

  • スカラップ(城ヶ崎/池田功)
  • 白髪鬼(湯川/保科雅則)
  • サマータイム(小川山/堀地清次)
  • 踊る蒟蒻(障子岩/草野俊達)
  • マリオネット(城ヶ崎/山野井泰史)
  • マーズ(城ヶ崎/吉田和正)
  • 蝦夷生艶気蒲焼(北海道/小笠原浩)
  • NINJA(小川山/シュテファン・グロヴァッツ)
  • モンキーハングほか九州三部作(九州/柏木敏治)
  • レッドイーグル(三崎海岸/橋本覚)
  • 大聖堂(小川山/中根穂高)
  • NATTO(硯岩/平山ユージ)
  • エアウェイ(二子山/寺島由彦)
  • グレートテール(大日岩/小野巳年男)
  • エロイカ(日光/柴田朋広)
  • ロマンティックウォリアー(アメリカ/トニー・ヤニロ、ランディ・リーヴィット)

初登者のほとんどは、名だたるフリークライミングのレジェンドばかりです。本書では、杉野氏自身の個人的な交友も含めて初登者の人物像、また、初登時のエピソード、初登当時のクライミング界の状況などが、同時代にクラミングに人生を賭けた著者でなければ書けない、いきいきとした筆致で描き出しています。
その意味で、本書は優れたクライミング随筆であるだけではなく、後世に残すべき一級のクライミング史料だといえるでしょう。

私のように、雑誌連載当時に、毎回毎回ページをめくることを楽しみにしていた人たちはもちろん、杉野氏を直接知らない若いクライマーにも、ぜひ本書を読んでいただきたいと思います。本書を読めば、フリークライミングを作ってきた開拓者達が、どんな深い精神性でそれを成し遂げてきたのか、そのもっとも優れた部分の一端に触れることができるでしょう。(それを私の言葉でまとめるなら、単に「強い」とか単に「速い」だけではなく、いかに「正しい」かがしっかり問われていたということです。)

事故について

さて、杉野保氏は本年3月、クライミングツアー中の不幸な事故で亡くなりました。一般紙でも報道され、見られた方も多いでしょう。その際、当初「ノーロープでのクライミング中の事故で死亡」という誤報がなされましたが、実際はクライミング中の事故ではなく、移動中だったというのが真相です。

私のクラミング仲間でも杉野氏の講習に参加していた人が何人かいましたが、安全管理には非常に厳しかったそうです。当初報道されたようなクライミング中の事故を起こすような方ではありません。氏の名誉のために、蛇足かもしれませんがここでも触れておきます。

ちなみに、私自身も、城ヶ崎をはじめさまざまなクライミングエリアで講習中の杉野氏と何度かお会いした際に、一言二言、話をさせてもらったこともあります。気さくな方で、ルートについて教えていただいたりしました。

やや残念な点も

また、『Rock & SNOW』誌の連載から本書の刊行まで、実に10年以上の時間がかかったという点については、かなり疑問がわきます。雑誌連載をまとめた書籍は、連載終了からあまり時間をおかずに出すことが普通です。そのほうが読者の関心も、情報としての鮮度も高いからです。10年も経ってから過去の連載をまとめた本を出すことは、かなり異例でしょう。もしかしたら、編集部としてはもともと出すつもりがなかった本書が、杉野氏の死をきっかけに出されたのではないでしょうか(あくまで推測ですが)。もしその推測が正しかったとしたら、それはそれで悲しいことです。

そして、10年以上という時間をかけたのであれば、ルートの現在(2020年時点)の状況や、他のクライマーのコメントなど、連載時にはなかった追加的な要素でも加えてほしかったところです。クライミングに対する愛情と熱意のある編集者であれば、必ずそうしていたことでしょう。しかし、そういったものは本書にはまったくありません。その点は、大いに残念です。

それでも、この優れた記録が単行書としてまとめられ、後世に残されることは、高い価値があるでしょう。

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